過労死の報道に接して

ここ数年で、過労自殺に関する痛ましい報道を何度か目にする機会がありました。

死ぬために働いていたのではないはずなのに。
あまりにも重いことで、自ら死を選ぶ瞬間のご本人の心理状態については私には想像することすらできませんが、そこに至るまでに毎日どのような気持ちで会社に通っていたのかと少し考えてみるだけで、何ともいえない気持ちになります。

「千と千尋の神隠し」で、千尋は湯婆婆に名を奪われ、自分の本当の名を忘れそうになります。
何者かに支配され、本来、忘れることなど絶対にあるはずのない自分の名を忘れる、自分が何者であるかが分からなくなってしまう、自分が本当は泣きたかったのだということも。
幸い、千尋はハクにそのことを教えられ、自分の名を思い出しますが、私たちも、これと紙一重のところにいるのかもしれません。

過労自殺ではなく、突発的な労災の死亡事故を念頭に置いたものではありますが、私が大阪労働基準局で研修をしていた時、ある労働基準監督官が、「朝、家族は『いってらっしゃい』と送り出し、夕方には、当然、いつものように元気に家に帰ってくると思っている。まさか、今日、死ぬかもしれないなんて微塵も思っていない。それなのに、帰ってくるはずの人がもう二度と帰ってこない。これほど悲惨なことはないんだ。だから、労災事故は絶対に起こさせてはいけないんだ。」とおっしゃっていました。

人口が減少していく中で「日本の国力を維持するためには…」というような話を耳にすることもあり、マクロで見ればそれはそのとおりだと思います。
しかし、私たちは、国力や経済成長率を維持するための記号(数値)ではありません。
会社という組織においても同様でしょう。

彼は、彼女は、機械ではありませんし、牛や馬などの家畜でもありません。人なのです。
そして、その人には、その身を案じ、帰りを待っている家族がいます。

この極めて当たり前のことに皆が少しずつ思いを致せば、悲しい思いをする方が減るのではないかと思います。

2018年9月27日

働き方改革について

近年、働き方改革ということが言われています。

個々の政策についての意見はいろいろあるだろうと思いますが、「従業員がいきいきと働ける環境を実現することにより、従業員の意欲と生産性が高まり、ひいては、会社の利益も向上する」という理念を真に実現しようとするのであれば、大変すばらしいことではないかと思います。

法理論的には、雇用契約も双務契約の一種であり、使用者と労働者は相対立する契約の当事者として捉えられるわけですが、会社にとって従業員は大事なビジネスパートナーであり、相互の理解と信頼関係があってこそ、会社としても、発展と成長が望めるのではないでしょうか。
奪い、奪われる関係性において両者を捉えていたのでは、ひょっとしたら短期的には利益が得られるかもしれませんが、長期的に見た場合には、従業員のモチベーションが下がる、有望な人材が流出する等といった問題が起こり、会社にとっても決して良い結果はもたらさないないように思います。

交渉理論においても、相手を出し抜くのが良い交渉ではなくて、取引をした結果、お互いの効用が高まる「Win-Win」の関係を実現できるのが良い交渉というのがありますね。

従業員も感情を持った人間です。
日頃から「会社は自分を大事にしてくれているな。」と思えているのと、そうでないのとで、いざという時に、どれだけ会社のために頑張ってくれるかには、自ずと差違が生じるのではないでしょうか。

これは、従業員側でも同じことで、会社の事情も考えずに自己の権利・利益ばかりを主張していたのでは、会社と良い関係を築くことはできないのだろうと思います。

相互理解の下に長期的な信頼関係を築き、共に発展していく。
理想論かもしれませんが、そのようにありたいし、あってほしいなと思っています。

事業主の皆さまは、めまぐるしく変わる社会・経済環境の中で、少しでも利益を上げて生き残っていかなければいけない大変厳しいお立場にあるわけですが、一度、上記のような視点についても考えてみていただければ幸いです。

2018年8月30日

過労死に関する報道に接して

ここ数年で、過労自殺に関する痛ましい報道を何度か目にする機会がありました。

死ぬために働いていたのではないはずなのに。
あまりにも重いことで、自ら死を選ぶ瞬間のご本人の心理状態については私には想像することすらできませんが、そこに至るまでに毎日どのような気持ちで会社に通っていたのかと少し考えてみるだけで、何ともいえない気持ちになります。

「千と千尋の神隠し」で、千尋は湯婆婆に名を奪われ、自分の本当の名を忘れそうになります。
何者かに支配され、本来、絶対に忘れることなどあるはずのない自分の名を忘れる、自分が何者であるかが分からなくなってしまう、自分が本当は泣きたかったのだということも。
幸い、千尋はハクにそのことを教えられ、自分の名を思い出しますが、私たちも、これと紙一重のところにいるのかもしれません。

過労自殺ではなく、突発的な労災の死亡事故を念頭に置いたものではありますが、私が大阪労働基準局で研修をしていた時、ある労働基準監督官が、「朝、家族は『いってらっしゃい』と送り出し、夕方には、当然、いつものように元気に家に帰ってくると思っている。まさか、今日、死ぬかもしれないなんて微塵も思っていない。それなのに、帰ってくるはずの人がもう二度と帰ってこない。これほど悲惨なことはないんだ。だから、労災事故は絶対に起こさせてはいけないんだ。」とおっしゃっていました。

人口が減少していく中で「日本の国力を維持するためには…」というような話を耳にすることもあり、マクロで見ればそれはそのとおりだと思います。
しかし、私たちは、国力や経済成長率を維持するための記号(数値)ではありません。
会社という組織においても同様でしょう。

彼は、彼女は、機械ではありませんし、牛や馬などの家畜でもありません。人なのです。
そして、その人には、その身を案じ、帰りを待っている家族がいます。

この極めて当たり前のことに皆が少しずつ思いを致せば、悲しい思いをする方が減るのではないかと思います。

2018年9月27日

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